HP時代から私の記事を見て下さっている方には、「大惨事!!スーパーロボット大全」に書いていた事と多分に被っている話なので繰り返しにはなってしまうんですが、先日、「エヴァ最高」みたいな事を熱く友人に語っている奴がおりましてね、しかも、聞こえてくる会話の中に「設定いくつ」だの「確変」だのという用語もなかったみたいなので、どうやらパチンコとかパチスロではなくアニメの「エヴァ」の話の様なのです。
…まだ存在してるんだなぁ「エヴァ」信者って。ビックリでしたわ。
え?「新劇」?こちとら2作目の段階で切ってるわい!!
…いや、別に「エヴァ」が好きな人に文句言うつもりはないんです。作品には文句言いますけどね。
改めて言いましょう。
私は「エヴァ」が大嫌いです。
レギュラー放送時も全話ではないですがポツポツ暇つぶしに見ていて、その後一気にブームになった際にやっていた再放送を「これでけ騒がれているのなら何か理由がある筈」と食いついて繰り返し観た時間を返して欲しい…と思うレベルで、です。コレを言うと「なんだかんだ言ってお前もハマってた」という人もいるんですが、何度見ても不快感とかのネガティブな感想の方が勝ってましたね。
ただ…ワタクシとしては非常に残念なんですが「新世紀エヴァンゲリオン」は世代的に直撃と言っていい世代です。テレビアニメ終了直後のブームの時はそりゃあもう凄かったもんで、「『エヴァ』が分からない人とは会話出来ません」みたいなキチ〇イじみた信者がもう…それこそ雲霞の如くいた訳ですよ。あ〜鬱陶しったらありゃしない。
大切な事なのでもう一度言います。
私は「エヴァ」が大嫌いです。
但し、映像的な見せ方に関しては評価される事に異議はないんです。ただその見せ方が悉く私の嗜好と合致しないのが問題なんですが。HPのネタとして半ば義務的に、騙されたと思って見た「新劇」も…1作目はまだしも2作目半ばで「またか…」と切る羽目になりましたから、おかげさまで。
いやね、「すごい」とは思ったんですよ?でもそれが「面白い」にさっぱり繋がらない。私にとって「エヴァ」って奴は「すごさ」は理解できるものの、どうしようもなく面白くない作品なんです。いや、正確に言えばまだ序盤は良かったんです。ただ、中盤以降どんどん不快感の方が勝つようになってしまったんですね。「大惨事」の記事読んだ人には分かると思いますが、そのピークが「男の戦い」というエピソードです。そして「新劇」が始まった時点で、もうどこに出しても恥ずかしい立派なオッサンとなってしまった私には「すごい」だけで作品に付き合える程の体力や集中力は、残念ながらなかったんですわ。
確か「大惨事」の記事には、「エヴァ」という作品にはテーマとして「オタクへの警鐘」みたいなものがあった筈。しかし作品の途中で以降庵野氏が「オタクなんて大した連中ではない」と解ってしまった。そして「男の戦い」というエピソードで、取り合えず描きたかったものを描くだけ描いた上で、それをオタクが好みそうな描写、演出で塗りつぶし、以降はマトモに作品に向き合わなかった…と断じて、更にオタクを否定しようにも庵野氏自身がオタクでしかなかったからそこに説得力なんか生まれる筈もない…と、そんな風に書いていたと記憶しています。
で、これをこの場を借りて一部訂正します。
そもそも…「エヴァ」に明確な中身なんてハナからなかったんですよ。劇中に出てきた「死海文書」だの「人類補完計画」だの「アダムとエヴァ」だの「ロンギニスの槍」にしろ…そういったワードにオタク達は反応して、勝手に解釈して勝手に「分かったつもり」になっていたのが「エヴァ」のブーム…それこそ、「『エヴァ』が理解できない人とは会話出来ません」みたいな痛々しい信者を生み出した訳ですが…そういったワードに対し、「エヴァ」という作品がちゃんとした回答を作品内で出したのか?表現として出せたのか?という点で、私には大きな疑問なんですわ。
色々解釈はされてるけど飽くまでそれは解釈。結局「回答は皆さんの心の中に」でしょ。
「エヴァ」の前と後では漫画やアニメが明らかに変化した、という人もいますが…確かにそうですな。畳む気もない大風呂敷を広げるだけ広げて、最後はケツまくって逃げる作品が増えた事増えた事…。「物語の結論を受け手の想像に委ねる」のと、「考えなしに広げてそれを収束する気が無い」ってのは違うんだぜ、と。
信者連中の解釈は色々あるんでしょうが、最終回のアレにしても当時から言われていた「自己啓発セミナー」みたい、という評以前に…例えば劇場版「伝説巨神イデオン 発動編」のラストでやった事と大して違わない訳です。尤も当時から一部で「『エヴァ』は『イデオン』のパクリ」という評もあった訳で、「旧劇」の方だって冨野氏が散々やってる「皆殺し」でしょ、一部生き残りはしましたが。
そもそもが「エヴァ」がそれ単品、固有の要素ってのは思いの外少ないんですわ。父親の作ったロボットに息子が乗り込む…なんてフォーマット自体既存のロボットアニメにありがちな要素が多い…なんて書くと、エヴァは人造人間でロボットじゃないんだいっ!!って鬱陶しい事言い出す奴が出て来るんだけども、他にも設定面なんかでは「どっかで見た事がある」という要素は案外少なくない訳で、それを庵野氏も分かっていて半ば認めている様な発言もしている訳で。
言わば、「エヴァ」って作品は庵野氏が今まで見てきたアニメやら特撮やら漫画といった媒体から気に入った部分をパッチワークして、同好の士に「ほ〜ら、面白いでしょ」と作った同人作品みたいなもんですわ。
だから「エヴァ」という作品にはインパクト優先でよくわからんシーンとか台詞も多いんですわ。代表例がミサトの「帰ったら続きをしましょう」ですかね。アレ、グッと来た、とか名シーンだ、という人もいるみたいですが…脈略が無いでしょ。エヴァに乗せて戦わせる鞭に対する飴のつもりなのかも知れませんが、あんな局面で筆おろしで釣ろうってか?と。私はこのシーンのせいでミサトが安っぽい女にしか見えなくなりましたわ、ええ。ハリウッド映画のラストシーンで危機を脱した主人公とヒロインがぶちゅっぷちゅっぷちゅっ…ぶちゅー…って奴の方がまだマシに思えます。
他にも、「旧劇」でやらかしたシンジのマスターベーションのシーン…あれ、視聴者に強い印象を与える為の演出、と言えば聞こえはいいですが、私にはこのシーン、「エヴァ」という作品こそが庵野氏を始めとするスタッフのマスターベーションだ、という暗喩としか受け取れませんでしたわ、ええ。そんな訳で、私にとっての「エヴァ」はテレビ版、「旧劇」と進むにつれて神経を逆なでされるような、ただただ不快なモノになっていったのです。上で書いた勘違いしている信者達の言動もコレに油を注いでくれた訳ですよ。
その一方で、私が絶望的に"合わない"点を除外してしまえば庵野氏自身は映像として見せるセンス、演出の上手さをそれなりに持ち合わせていたもんだから、氏の手掛ける作品は見た目はカッコ良く、面白そうなものに仕立て上げてしまえる。でも結局の所肝心の中身がないもんだから、思い付き的に謎めいたワードで誤魔化す…その結果、オタクが勝手に「深い!!」とか言い出してしまったおかげでオタクが信者にクラスチェンジして先鋭化…そして最終的に庵野氏も「こんな筈では…」という胸中になるまで追い込まれ、旧劇場版で「オタクなんて大した連中じゃない」と言い訳に走った…コレが「エヴァ」の顛末だ、と私は思っています。中身の無さを言葉遊び的なワードの乱立と悪趣味さで誤魔化した作品…それが「新世紀エヴァンゲリオン」という作品だ、と。
いや、勿論反論は認めますよ。
でも、聞く耳は持ちません。(笑)
結局…まぁ最終的にはどのコンテンツもそうなってしまう部分はあるんですが、結局の所「エヴァ」だって最終的に残ったのは綾波、アスカ、カヲル君を代表としたキャラ人気な訳です。あれだけ乱立して分かった様な事を語られていたワード、な〜んにも残ってないですよ、ええ。コレは「語りつくされた」んじゃなく、ただ単に「飽きられた」だけ。庵野氏自身だってコレは分かっている…だからこそ「新劇」では新規ヒロインとして真希波とか出したり、アスカを何故か式波にして、「俺のケツをなめろ」的な眼帯キャラに途中変更したのでしょうし。
キャラ人気以外で残っているのものがあるとすれば、何でそうしたのか分からないレベルで悪趣味にも見えるが何だか凄そうに思えてしまう映像手法、です。物語的な中身で残っているものなんかない…少なくとも私にはそう感じられるのです。
ただ…やり口はヒドイですわな。テレビ版をあんな終わり方にしておいて、真のエンディングは…なんて言って劇場版を作っておきながら、パチンコ辺りフトコロが豊潤になって味を占めたから、今度はじゃあ新劇作ります…って、何なんだオイ!!と。ライフワークって便利な言葉があるけれども、結局は「金を稼げるコンテンツ」だから切りたくない…ってだけなんじゃないか、と。新劇を作る前に自分で立ち上げた会社に「エヴァ」に関する権利を引き上げているのも、要はそういう事なのだろ?と。挙句の果てに自身が監督した「シン・ゴジラ」でも「エヴァ」の音楽流用してる位ですし。
そういう訳で、私は「エヴァ」が嫌いなんです。テレビ本編を受け手のブームの時はまだしも、「新劇」が出た現在に至っては「エヴァ」というのは「オタクへの釣り針」にしか見えなくなてしまったんですわ。そんな訳で、世代的には直撃な「エヴァ」を…私はどうしても「自分達の世代のアニメ」だとは思いたくはないんです。
…でも、「エヴァ」という作品の空虚さは…自分達の世代にマッチしてしまっているのかも知れない…とは、不本意ながら思えてしまうんですわ。