零哭堂の自分語り
- 2019.04.05 Friday
- 20:17
もうすぐ8時になるのに、ホテルの外で選挙カーがガンガン騒音まき散らしているんですが…選挙の演説とかって確か夜8時までって制限が無かったっけか?必死なのは分かるけど、夜遅くまで演説と言う名の騒音まき散らす様な候補者に対しては、例え良い事を言っていたとしても投票したくない…って思う人も少なくないだろうし、逆効果じゃねぇかな、と。
少し前に実写映画やアニメにもなった傑作漫画、岩明均先生の「寄生獣」で、知識欲が旺盛で様々な本を読み漁る。そんな勤勉?なミギーの為に、普段は利用しない図書館で大量に本を借りて帰宅した新一は、ミギーの勉強熱心さに半ば呆れながら、自分の大学受験の勉強もやってくれ、とミギーに言うんですが、ミギーはこう返すんです。
…私はミギーとはちょっと違ってまして、むしろ「生きる上では到底役に立たない、無駄だが面白い知識」が好きだったりします。
そんな訳で、何かで気になった事とかをネットとか本で調べる…という行為は嫌いじゃないんです。いや、所謂試験勉強とかそういうのは大っ嫌いなんですけどね。(苦笑)
「天まで飛べ」からの個人HPの各コンテンツや記事も、私のこういう性格と言うか…ある意味ビョーキの賜物、と言えなくもなかったりします。
そんな訳で、仕事の同僚で私を知る人からは割と「変な事を色々知ってる人」という評をされている様で、「マニアック」呼ばわりする事は少なくないんです。いやまぁ、やぶさかじゃないんですが。(笑)
ただ、私としては「マニア」とか「オタク」呼ばわりには抵抗が無いんですが、「〇〇の信者」と呼ばれるのだけは勘弁願いたいと思っています。いや、別に宗教とかは関係ないですよ?実際宗教に関しては、教義とか歴史とかに関しては多少のキョーミはあるんですが、信仰心とかとは完全に無縁です。信仰心で全てが救われるなんてのは、ありえない…と思うので。
信者の思考というのは、思考停止…とは言いませんが、少なくとも「盲目」ではあるのではないか…そう思うのです。絶対的だと信じ切ってしまっている…故に「弊害」って多いと思うんですよ。
客観的に見られない
欠点に気が付けない
想像力が欠如する
思考が排他的になる
…良い事が無い気がするんです。
マニアってのは、欠点も認めたうえでそれでも好き…という、言わば「惚れた故の業」を抱えた人だと思うんですよ。対して信者という奴は、信奉する者が絶対的で欠点などあろうはずもない…いや、ホントは欠点に気が付いていても気が付いていないふりをしている。例えばマニアと信者にそれぞれが好きな作品をプレゼンしてもらうとしましょう、マニアってのは
「ココが面白い。ただソコはちょっと違和感があるんだけどそれに関してはコレコレ考えると辻褄があったりするんでソレにも注目して欲しい」
みたいな事を語るのに対し、信者ってのは
「いや、コレは絶対良い。私が信奉しているのだから悪い訳が無い。間違いなんてありえない。コレ分からない奴はバカだ。」
…こんな論調になりがちなんですよ。それで挙句の果てに自分が信奉するモノを引き立てる為に、他を下げる為だけに引用したりするんです。ホント、宗教と一緒ですわ。(苦笑)
そんな訳で、私は「信者」にはなりたくないんです。
信者になりそうだな…と思った時は、敢えて対象を突き放して客観的に見られる様に努めます。勿論、自分以外の方が信者になってしまう事に関しては文句を言うつもりはありません。いや、正直鬱陶しい位は思うかもしれませんが。(苦笑)
まぁ、そんなだから対人関係には割と醒めてしまっている部分ってのはあるかも知れません。おかげで誰かにキョーレツに憧れたり、惚れたり…そういう事、フィクションの中でしかなくなってしまったなぁ…。
想像力が豊か過ぎるというか理屈と膏薬はどこへでも付く理論で強引な解釈で欠点じゃないと補完しちゃうタイプでしょうか
Gレコの時なんかは叩かれてる最中特にこのタイプが異様に多く、煙たがられてましたしね
まあ、どちらにしろ鬱陶しい事に変わりはないのですが(苦笑)アイドルはウンコもオナラもしないという心理はいつの時代も変わらないもんなんですねぇ…
辻褄が合わない部分や欠点を自分達で補完するのは楽しい遊びなんですけどね。他者に押し付けさえしなければ。
ただ、府噛んでいる事を心がけると醒めてしまうのも早い…という欠点もありますが。